デニムのオリジナル刺繍がウリです♪ リペアもね。
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ランチと言っても、昼ごはんじゃないです。牧場ともちゃいます。
ご存知の大人気SHOP「ハリウッド・ランチマーケット」のことです。
「ハリラン」とか略して言うコたちが多いみたいなんだけど、ボクら古くからの馴染みは等しく「ランチ」と呼びます。そっちの方がプロっぽいので、よいこのみなさんは正しく「ランチ」と略しましょう。
木村拓哉さんは「キムタク」ではなく、「キムラさん」or「たくやさん」と呼ぶのが正しいように、です。
ウチのSHOPも時々「ファンクラ」と呼ぶ人がいますけど、そう呼ばれると背中がムズムズするので、略すなら「ファンキー」で頼みます^^
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で、タイトルで原宿としましたけど、正しくは千駄ヶ谷にあったんです。
ただし、「極楽鳥」という同系列のSHOPは、明治通りからキラー通りに抜ける交差点のあたりにあったし、「スタークラブ」という古着専門にやってたSHOP(ナイスなドレスシャツとかがオープン当初にあったんですよね)は、表参道と明治通りがクロスするあたりのビルの最上階(たしか)にありました。
あの「ペニー・レイン」の近所のビルです。
実はランチのNO.2だったOさんは、先輩だったんです。物静かで知的で、けれどとても行動的で、お洒落な人です。
Oさんの彼女も素敵な女性で、モデルをしていたんですが、後にスタイリストとしても活躍し始めて、当時ボクがいた明治通り沿いのSHOPによく顔を出してくれました。
原宿もまだまだSHOPの数が少なくて、でも既に伝説化していたSHOPや人物も点在していて、裏通りには民家があって、フツーに生活している人たちもたくさんいて、旨くて安い定食屋もあって、とんがったお洒落をしているSHOPの女の子たちも、そこではお国訛りで喋っていたりしてね、中々まったりとしていて、いい雰囲気でしたね。
まだラフォーレとかも進出していなかったし、街のシンボルだった教会も、懐かしきセントラルアパートも健在だったし(つまり、まだ地上げの嵐が吹き荒れる前のことです)いい時代でしたね。同潤会アパートも好きだったなぁー。並木との相性も絶妙だったしね。
今ではパレフランスもないんですよね。いろんな思い出が刻まれている場所が消えていくのは、とても痛いものだってことを、年齢を重ねる度に実感します。まるでアイデンティティの一部を無理やりえぐり取られたような気分になります。
現在の主だったSHOPの草創期でもあったし(例えば「ビームス」と、そこから袂を分かつことになった「アローズ」とかね)、日本という国も上昇気流に乗ったばかりの頃だったので、とにかくボクらは思い切り新鮮な空気を吸って、輝ける未来に思いを馳せていました。
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というところで、続きは明日にでも^^